仙人力光線

富嶽仙人
01/03/04 14:34 厳冬の御坂山地

2月11日

 この日、久々にテントを担いで御坂山地に登った。このコーナーへの掲載の順序が前後してしまったのは、デジカメを持っていかず銀塩(いわゆるフイルム)カメラしか持っていかなかったからで、しかも現在メインに使っているEOSではなくF−1という旧型のシステムを持っていき、下山後フイルムを残したまま半月ほどほっておいたからである。
 
 僕のEOSはオンボロで寒さの中ではすぐにトラブルを起こす。そんな状況の中では旧型のシステムのほうが遥かに信頼できるのだ。デジカメは新型のほうが、おそらく間違いなく優れているのであるが、ことフイルムを使う写真機に関してはそうでないことも多い。F-1は寒さの中でも特に気を使うこともなく取り扱って何の問題も起こさなかった。


 御坂山地の山麓、富士五湖周辺にはキャンプ場は数えきれないほどあるのだが、御坂山地の稜線にはキャンプ場として指定されているところは無い。だから幕営は本来まずいのかもしれない。少々肩身は狭いのだが、ここは迷惑行為をしないことを大前提として許して貰おう。
 
 
 テントを設営したのは「旧御坂峠」、天下茶屋のある旧御坂トンネルと、御坂山地の最高峰黒岳のちょうど中間辺りにある。位置的には新御坂トンネルの真上辺りだ。と書いても、新・旧の御坂がごっちゃになり、初めて聞く方には理解不能だろう。
 
 ということで、ささやかな知識だが解説を.
 
 
旧御坂峠(今回の幕営地)
 鎌倉往還が御坂山地を越えた峠。したがって御坂峠とは本来この場所のことだ。
 現在この鎌倉往還は登山道となっており当時の旅に想いを馳せながら御坂山地を越えることが出来る。
  
旧御坂トンネル前(通称御坂峠)
 太宰治が滞在した「天下茶屋」のある場所で、今回の登山口である。御坂峠と言うと普通ここを指す。旧御坂トンネルも通行可能だが冬季は御坂町側(北側)は通行止めになる。
  
新御坂トンネル
 旧御坂峠の真下を抜いたトンネルで、現在一般に使われている道路である。


 さて、本題。
 旧御坂峠には御坂茶屋という小屋があるのだが、営業はしていない。扉には板が打たれていたが、そ扉の一部が内側に倒れ込んでいて無理をすれば中に入ることも出来そうであった。無人の小屋に入って、火を使い過って燃やしてしまったという事故がときどきある。何かあったとき要らぬ疑いをかけられても嫌なので、中を探索するのはやめておいた。小屋の裏手には一応トイレがあって、これについては有難く使わせていただいた―感謝。
 
 



登山道脇に設営したテント

 
 テントは登山道の脇に張った。というか写真でも判る通り登山道の上に張ったような形だ。他の場所は設置スペースを奇麗に作るのがまず面倒くさかったからである。通行の邪魔になるので本来良くないのだが、まあ撤収するまで誰も通ることはないだろうと判断した(実際だれも通らなかった)。ただ登山道=獣道になっているため少々おっかない。山のオヤジは冬眠中だと信じて眠りについた。
 



宝石箱のような夜景と富士山  黒岳山頂


 この旧御坂峠は展望があまり良くはない。午前4時過ぎに黒岳に向けて出発。一時間少々の行程である。昨夜は結構風があったのだが、今朝はそれが収まって、体感気温はさほど低くない。温度計を持ってこなかったのだが、雲が多いこともあり気温そのものもさほど低くはないのだろう。
 黒岳からは富士山はもちろん、眼下に広がる河口湖とその周辺の夜景が素晴らしい。
 
 



道標が埋まるほどの積雪の黒岳山頂


 残念ながら朝焼けはほとんど無く静かに夜明けの時間は過ぎていった。天候が下り坂でであることは既に判っていたから、これは予定通り。
 
 
 ぶらぶらと旧御坂峠めざして下山開始。日差しが射し込むと木々の影が雪面に映って美しい。あと目立つのが動物の足跡。夏は注意深く行動しないと動物達の気配を感じることは難しいが、冬は確かにさきまでそこに居たという証拠があちこちに残っていて楽しい。
 
  



雪の上には足跡が縦横無尽についている。
これは何の足跡なのだろうか。


 ついさっきまで見えていた富士山は、あっという間に雲に覆われ日差しも弱くなってきた。



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