「山旅倶楽部」で広がるアウトドアライフ
No.116 2002.7.30
新潟県 松之山

コシヒカリのミラクルロード

コシヒカリのミラクルロード
[Exif位置情報 あり]

憧れの地であった棚田の里、夏の新潟県松之山を訪れた

7月の棚田は眩しいほどの緑が一面に広がり、その存在感の大きさに打ちのめされ、早々に撮影は諦めて今回は見物人に徹することにした

撮影をする時だが、自分の感受性が被写体のパワーに負けていたのでは、例えシャッターを押しても、フィルムに自分の感じとったイメージが正しく写っているということはまずない。自分と被写体との関係は常にフィフティー、フィフティーでないと、良い結果は得られないものだ。撮影にも潔さは大事なのだ

そもそも松之山の棚田の存在を知ったのは、イギリスの写真家ジョニー・ハイマス氏の写真集「たんぼ」からだった。そこには見慣れた日本の風景というよりは、イギリスの田舎としか形容しようがないほど、日本人の感覚とは全く違った光を捕まえ、撮影された棚田の風景が広がっていた。いくらハッセルを使用したとはいえ、日本人による撮影だったら、はたして彼の作品のようなファンタスティックな映像になったであろうか

松之山の水稲はコシヒカリが多い。しかし全ての稲がコシヒカリなわけではない。松之山という狭い地域の中でもコシヒカリの育たない土地は存在するのだ。それだけにコシヒカリを育てられる棚田を所有している農家の人達のコシヒカリに対する思い入れは深い

ところで僕がコシヒカリという米の存在を知ったのは1970年前後だったように思う。1980年代はコシヒカリとササニシキが人気を二分していたが、いつのまにかササニシキは脱落。現在では他の米を圧倒する人気を博する存在にまで上り詰めたコシヒカリ。しかしコシヒカリはどのようにして生まれてきたのだろうか。松之山の棚田を眺めながら、そんな疑問が浮かんだ


帰宅して、酒井義昭著「コシヒカリ物語」(中央新書)を入手、コシヒカリの生い立ちを調べてみると、なんとコシヒカリがこの世に存在できたこと自体が奇跡であることが分かった

1944年7月末、怪我のため兵役をまぬがれた新潟県長岡市の新潟農事試験場水稲育種指定試験地主任技師の高橋浩之氏が晩生種の「農林二十二号」を母、早生種の「農林一号」を父として人工交配して生まれたのがコシヒカリだ

しかしその生い立ちは決して順風満帆とはいいがたい

交配は成功して、モミを確保できたものの、1945年は終戦となったため、交配して収穫されたモミは発芽テストをされることなく貯蔵されてしまった。また交配の情報を記した資料は長岡の空襲で全て焼けてしまっていた。今は亡き僕の義母は、この時の空襲を同地で体験している。一機のP38ライトニングがまるでテレビゲームで遊ぶかのように、自分だけをめがけて機銃掃射してくる。そのパイロットの顔を一生忘れないと語ってくれた

高橋浩之氏のモミの保存方法が適切であったため、1946年にコシヒカリは無事発芽することが出来た。ちなみに他の職員が保存したモミは全く発芽しなかったそうだ。しかし高橋浩之氏はコシヒカリのその後の栄光を見ることなく、1962年53歳という若さで他界している

高橋浩之氏が生みの親だとすると、育ての親は新潟農試所長の杉谷文之氏だ

そもそも水稲育種指定試験事業とは、1927年、稲の品種改良を効率的におこなうことを目的に国が設立したものだ。米は国の管理下の存在ゆえ、ここで試験、選別され、合格した稲種でないと、世にデビューすることはできない。つまり歌手がオーデションに合格しないとレコードデビューできないのと同じで、杉谷文之氏はコシヒカリを発掘したプロデューサーにあたる存在だ

1955年頃の日本はまだまだ食糧難の時代、「味」よりは「量」が求められていた。コシヒカリは台風などの風に弱く、倒れやすかったし、病気にも決して強いとはいえなかった。しかし唯一救われた点は、風で倒れても、稲自体は「生きている」ことだった。だから収穫はなんとかできた。こんな超問題児のコシヒカリだったが、採用反対の多くの声を押し切り、ワンマン所長の杉谷文之氏の鶴の一声「越南十七号ことコシヒカリを採用する」、この決定でコシヒカリは、かろうじてデビューすることができた。しかし新潟県の推奨水稲となったコシヒカリも山間部、魚沼のような地域でないとうまく育たなかった。皮肉なことだが、結果として魚沼産のコシヒカリが現在では最高の米として評価されている


写真であるが、これは実る前のコシヒカリを刈りとり、干している風景だ

つまり減反の対象として、稲穂をつけることなく、無残に刈りとられたコシヒカリの姿なのだ。精魂こめて育てた子どもたちを、自らの手で始末しなくてはならない切なさは、老人の目を見ていれば伝わってくる。この干したコシヒカリの顛末だが、正月のしめ飾りの材料として使われるのだそうだ。何度も溜息しながら、老人は僕に教えてくれた


掲載している写真に[Exif位置情報]がある場合には、その写真をカシミールの「山旅倶楽部」地図上にドラッグ&ドロップしてみてください。撮影場所の地図を自動的にダウンロード、位置を画面の中央にアイコン表示します。アイコンをクリックすると写真を表示します。また写真にはExif形式で旅情報の内容も記載していますので、カシミールで内容を閲覧チェックできます。 写真をwebブラウザでダウンロード保存しておくと、旅データとして活用できますよ。
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